何を基準にいきるか
ジョジョが好きだ
特に7部が好きだ
「人は“審美眼”をもって行動すべきだ、とおもうんです」
「勉強って審美眼を培うためのものだとおもってるんですよ」
荒木先生の言葉でこれはとても印象に残っている。
ほんとそうだなぁと思う。
美しさ→外見のうつくしさとか だけでは無く、馴染んでいるか、しっくりくるか、納得できるか、などということで。
〜が○○だから、その方が都合が良いからそうする、とかそういう打算的なことのために生きるという道もあったりする
食欲のままにむさぼりくうような
そんな生き方はしてないだろうか
“美しい”と思えるものに向かっているだろうか
そんなことを問いかけながら生きていけば
すてきになれると信じている。
なにを“美しい”と感じることができるのか。
審美眼を培うことが、その人の生き方を無意識に決めるのだろう
迷った時はどっちが美しいか、で選びたい。
正しさは表裏一体な危うさもはらんでいると思う
正しい は難しい
映画だとか小説とか、周囲の人がおこなったことで「素敵だなぁ」と思えることってけっこうある。
そこにはなんらかに“美しさ”があるる。
それを見つけて、取り込んでいきたいな〜
二面性をもってずる賢く生きることに
自分はうまく生きている、感じている人も世の中にはたくさんいるだろう。
それも、よいのかもしれないけどね。
ジョジョ7部もう一回読みたい〜
「武士は食わねど高楊枝」と
「背中で泣いてる男の美学」は似ている
満たされないことに美しさを感じるのは
なぜなんだろうか
余白の美 とか 未完成の美とか
わびさびとかに似ているのか
同情の心や優越感なのか(でも違う気もするしわからない)
また考えてこ〜