美しく、生きたまま逆さ吊りにされる、ドライフラワーの気持ちは。
お花をもらった。
綺麗だ。
花瓶にいれて、楽しんだ。部屋に彩りがそえられた。
長く楽しめるように、と思い、ドライフラワーにすることにした。
開きが大きくなってきた花たちを少しずつ、選びとった。
まだ花瓶の中で咲いている花もある。
ふと見た逆さ吊りにした花は、まだ肌がみずみずしい。生きている。
罪悪感が押し寄せてきた。
生きている。まだ水を吸い上げ美しく咲くこともできるのに、持ち主の一存で、
生きたまま逆さ吊りにされる。
これまで空を目指して生きてきたのに、重力に逆らえず地面にだらんと頭を下げさせられている、彼女らは、一体どんな気持ちなんだろう……?
寿命をむかえて、しおれていくこと
ドライフラワーになって、しんだ状態で長く生きること。
どっちが幸せなんだ。
まだ生きれるのに、
自然のまま寿命を迎えたかったのに、って
泣いてるんじゃないか、と思ったら心が鈍い音をたてる
でも、
わたしがそんなことを思うのが、一番お花にとって、失礼なことなのかもしれない。
精一杯、どちらも、その花として愛でればいいのに。こんなこと考えること自体が、花の誇りを傷つけることなのかもしれない。
わたしは、とにかく花一本いっぽん全部愛そう。
でももしお花に意思があったなら、教えてもらえたのなら、
どっちを望んだんだろう。