ぷかぷかスイスイ

魚なのかもしれないわたくし 。シレヌイD子。/社会に溶け込んでるつもり25歳会社員/嵐Oさんファン/思ったことをプカプカ/一人旅好き

美しく、生きたまま逆さ吊りにされる、ドライフラワーの気持ちは。

お花をもらった。

綺麗だ。

花瓶にいれて、楽しんだ。部屋に彩りがそえられた。
長く楽しめるように、と思い、ドライフラワーにすることにした。

開きが大きくなってきた花たちを少しずつ、選びとった。

まだ花瓶の中で咲いている花もある。




ふと見た逆さ吊りにした花は、まだ肌がみずみずしい。生きている。


罪悪感が押し寄せてきた。
生きている。まだ水を吸い上げ美しく咲くこともできるのに、持ち主の一存で、
生きたまま逆さ吊りにされる。
これまで空を目指して生きてきたのに、重力に逆らえず地面にだらんと頭を下げさせられている、彼女らは、一体どんな気持ちなんだろう……?


寿命をむかえて、しおれていくこと
ドライフラワーになって、しんだ状態で長く生きること。
どっちが幸せなんだ。

まだ生きれるのに、
自然のまま寿命を迎えたかったのに、って
泣いてるんじゃないか、と思ったら心が鈍い音をたてる



でも、
わたしがそんなことを思うのが、一番お花にとって、失礼なことなのかもしれない。
精一杯、どちらも、その花として愛でればいいのに。こんなこと考えること自体が、花の誇りを傷つけることなのかもしれない。


わたしは、とにかく花一本いっぽん全部愛そう。


でももしお花に意思があったなら、教えてもらえたのなら、
どっちを望んだんだろう。